今回は、哲学の分野に旅行してきました。脳ひとつで旅行に行くなんて、超ミニマリスト(違う)です。(私のミニマリスト観では、[ミニマルな城]とか[快適なシェルター]みたいなニュアンスを、居住空間には残したいです。家臣(家電)は電気代で雇えますし、近頃は何かと物騒ですし)
近況(私の)
少しばかり近況報告させていただきますが、近頃かなり[脳科学]に興味が出てしまって、同時並行で展開している小売り業系統はかなり停滞(それでもちょくちょくフリマアプリで商品が売れていますが)させてしまっています。
もっぱら、ブログやツイッター的には[ビジネス用のマインドセット]分野の情報発信に特化してきている気がします。
確かに、ネット集客方法としても、SNSの重要度は日々高まっていると言われ、[信用]が徐々に実弾的な武器になりつつある現状です。ただ、SNSビジネスもまだまだ黎明期です。
しかし、だからこそ、根幹にある[マインドセット]の必要性を大きく感じ、着目しているのです。あなたがもしマインドセットを軽視しているならば、マインドセットが[あらぬ弱点]になってしまわないよう、[急がば回れ]精神で、情報を取っていただければ、と思います。
[マインドセット]は、ビジネスどころか、人生の根幹です。“洗脳”という概念がもしあるならば、[洗脳を解く手段]と言っていいでしょう。
私は多動的な傾向があるので、今回のように、ビジネスから少し脳をずらし、外にある情報を取っては戻ってきて、情報を噛み砕いて共有するスタイルで行きたいと思います。あまり、ビジネスから離れないようにします。そして、自頭も良くないので、薄く広く、わかりやすく、解説するように心がけていきます。そのぶん、専門的な方から見ると、全てのコンテンツを稚拙で物足りなく感じることがあるかと存じますが、ご了承ください。
哲学って、怖い印象
哲学って、生きることは、死ぬことだ。みたいな、極致にイッちゃってるイメージがありました。そしてそれは、今も否定できません(笑)(猫理論も、自然体理論に昇華する時には哲学と呼ばれそうですが、なるべく現場の実用性を重視して育てていきたいです)
私もよくわかっていません(おい)。哲学と主張すれば、なんでも哲学と呼べると思っています。ただ、もし、他人の哲学と下手に絡まったら、超危険だと思います。そもそも、人に押し付けるものでもない(その時点で哲学ですらないですが)と思います。
大事なのは、受け取り方だと思います。一旦中和・分解して、提唱者の主張の真意(=生きた時間)のエキスだけを抽出して、吸い取るのが正解だと思います。言葉不足の文章の真意がイマイチわからない、という人には、哲学は良いトレーニングになると思います。
使える素材(情報)を、使える形にしてお届けしたいのですが、その点ニーチェは「ちょっと悲観的だけど、即戦力」だと感じました。19世紀の思想家ですが、名言集としてもよくまとめられていますしね。今回は、名言を引用しつつ、私たちの立場に合うように解釈していきたいと思います。
ニーチェの自己紹介を、名言でどうぞ
【われわれ一人ひとりの気が狂うことは稀である。しかし、集団・政党・国家・時代においては日常茶飯事なのだ】
【一人では正しいかどうかはわからない。真理は二人から始まる。一人では自己を証明できない。しかし、二人になると、もう反駁(反論すること)できない】
【神は死んだ】
ニーチェの主張は、[自分軸]や[個人]の概念が多いように思います。「個人がしっかりと自分を持つことが、社会の始まりだ。本当の強者は個人だ」と言っているようにも受け取れます。
《コミュニティが弱いのなら、個人は弱くてはいけない》
と、私はポジティブに意訳しました。
恐怖心、悲観主義
【たくさんのことを生半可に知っているよりは、何も知らないほうがよい】
【自分を破壊する一歩手前の負荷が自分を強くしてくれる】
【この人生を簡単に、そして安楽に過ごしていきたいというのか。だったら、常に群れてやまない人々の中に混じるがいい。そして、いつも群衆と一緒につるんで、ついには自分というものを忘れ去って生きていくがいい】
改めて、恐怖とか危険を推進力にして進む哲学のようですね。彼の造った[ルサンチマン(弱者が強者に対して持つ憤り)]という言葉だけは聞いたことがありましたが。そしてニュアンスが皮肉的で攻撃的で、孤独という言葉が良く出てきました。今に例えると、まさに個人事業主向けの強烈な哲学と言えるのかもしれません。論調が強いのは、あまりに多数派と思考が乖離していたのでしょうか。そんなに群れて没落していく人が多かったのでしょうか。はたまた、遥か先にそうなることを見越していたのでしょうか。
ざっくりとしか調べていませんが、彼は、キリスト教の教えなど、コミュニティの風潮を[弱者のフリをした馴れ合い]のように感じたのでしょうか。彼が反発していた社会は、なんだか、現代の日本みたいですね。
《憤るほどの違和感を覚えよ、そして最適化に向かえ》
と、私はポジティブに意訳しました。
生の哲学~やや精神論的も、その分敷居は低い実存主義~
【繊細な魂は、誰かが自分に感謝する義務があると知ると塞ぎ込む。粗野な魂は、自分が誰かに感謝する義務があると知ると塞ぎ込む】
【「なぜ生きるか」を知っている者は、ほとんど、あらゆる「いかに生きるか」に耐えるのだ】
【われわれが広々とした自然にこれほど居たがるのは、自然がわれわれに関して、なんら意見を持っていないからである】
【母親は息子の友人が成功すると妬む。母親は息子よりも、息子の中の自分を愛しているのである】
【怪物と闘う者は、自らも怪物にならぬよう気をつけるべきだろう。深淵をのぞきこむ者は、深淵からものぞきこまれているのだ】
【信念は、真実にとって、嘘よりも危険な敵である】
【正義は支払能力のないものを大目に見逃すことをもって終わる。正義はこの自己止揚、それがどんな美名で呼ばれているかを知っているか。いわく恩恵。それはいうまでもなくもっとも強大な特権である】
まさに実存主義であり、生の哲学の真骨頂という感じの言葉ですね。
《個人なんだから、卑屈にならず、傲慢にならず、伸び伸びと、自分らしく、たくましく生きよう》
と、私はポジティブに意訳しました。
しかし、なんでこんなにも表現が暗いのか。
当時はSNSも無いし、身近に賛同者がいなかったのですかね。周りに、あまりにも思考しない人間が多くて、愚かだと感じ、憤っていたのかもしれませんね。だからって、闇を闇と表現したのでは、実用性が損なわれている気がしますが。「いいね」はたくさん来るでしょうけどね。
もちろん、ポジティブな名言も
【孤独な者よ、君は創造者の道を行く】
【一日一日を始める最良の方法は、目覚めの際に、今日は少なくとも一人の人間に、一つの喜びを与えることができないかと、考えることである】
【独創的とは、何か新しいものを初めて観察することではない。古いもの、古くから知られていたもの、または誰の目にも触れてはいたが、見のがされていたものを、新しいもののように観察することが、真に独創的な頭であることの証拠である】
やはりポジティブいいですね。するすると入ってきます。
即戦力になりそうな名言
【自己の思想を氷の上へおくことを心得ていない人は、論争の中へ身を投じてはいけない】
【なんじの敵には、軽蔑すべき敵を選ぶな。なんじの敵について誇りを感じなければならない】
ん?ニーチェさん、やっぱりSNSやってました?
【地球は皮膚を持っている。そしてその皮膚はさまざまな病気を持っている。その病気のひとつが人間である】
なんかもう、100年以上前にこんなことを主張されると、なんだか悔しい気持ちにさえなってきます。ただただ、表現が悲観的なのが悔やまれます。
やや悲観的で、冷めてしまった料理の如きです。
しかし、これらの主張は、文献学的な解釈学であり、受け取る側にも解釈の余地が委ねられているのです。
ミスチルの櫻井さんも言ってたな。「歌は、聴く人の、その時の気持ちと合わさって、人の心に入っていく。だから歌詞は敢えて言葉足らずにしている」(不正確ですが)
私は、文字制限のある[ツイッター]が、情報ツールであると共に、[現代の解釈学ツール]だと感じています。ただの共感ツールでおいておくのは勿体ないですよ。
そもそも、誰かの主張は、主張である限り、何らかのニュアンスが含まれて当然なのです。そのニュアンスを中和し、情報を温かく料理して、フォロワーと共有するのが、発信者の役割だと思います。何かしら、貢献してみることが、一歩だと思います。
《クリエイティブな、情報の料理人であれ。その行動は、コミュニティの自浄作用を促す》
前項目のポジティブも含めて、こう意訳しました。
最後も、名言で〆たいと思います。
【私はお前たちに超人を教える。人間は超越さるべき何者かである。お前たちは人間を超越すべく何事なしたか? 超人は大地の意義である】
私なりのポジティブ解釈:
《過去の過ちの無限ループを知り、過去を超え、過去を変えろ》
✔コミュニティが弱いのなら、個人は弱くてはいけない
✔憤るほどの違和感を覚えよ、そして最適化に向かえ
✔個人なんだから、卑屈にならず、傲慢にならず、伸び伸びと、自分らしく、たくましく生きよう
✔クリエイティブな、情報の料理人であれ。その行動は、コミュニティの自浄作用を促す
✔過去の過ちの無限ループを知り、過去を超え、過去を変えろ