体験談

ブラック正社員からホワイト非正規社員になったら,幸福度が上がりはじめた話

初めまして。

ハチワレはっちのパパことはっちパパです。

不慣れですが、日々改善しますのでよろしくお願いいたします。

はっちに関しては後々紹介させていただきますね。

今回は自己紹介を兼ねて、僕の仕事の経歴を紹介しつつ、

・ブラック労働を続けていくと、人生はどうなっていくのか?

・ブラック労働から解放されると、どんな未来が見えてくるのか?

・非正規社員ってどうなの?

というところをお伝えできたらと思っています。

・仕事を探しているけど、基準がわからない

・自分の希望職種がわからない

・今の仕事、実はブラックな気がする・・・

・『正社員』という雇用形態にやや疑問を持っている

こんな人には、少し役に立つかもです。

 

結論

・心身共に健康になった

・自由な時間が増えた

・お金の流れが良くなった

・人間らしく生きている実感が湧いた

書いてみると当たり前のことかもわかりませんが、実感としてはっきりと変わってきました。

ここからは私が就職した経緯と状況を、備忘録的にまとめて書いておきます。挫折と復活をしただけの話なので、駄文ですが、悩んでる人や暇な人は読んでください。

私はいわゆる『Fラン大学』卒業です。

高校の進路担当の先生に「ランクの低い大学でも、本人がどういう姿勢で学ぶかが重要。大学を出ていないと、まともな企業への就職は難しい。」と言われるがまま主体性なく入学し、卒業しました。学業自体は非常に面白く、特に私が興味を持っていた『経済・経営』関連の講義は前のめりになってノートを取るほどでした。が、講義以外の時間の密度は非常に薄いものでした。主体性が全く無かった私は、就職活動や、遊びにさえも身が入らない日々でした。

就職活動をしなかったので、無職のまま社会に出ることになり、タウンワーク社員を見て3か月ほど簡易的な就活をしてようやく営業職に就きました。

営業職

・訪問販売の飛び込み営業

・月給20万円固定+実績給(交通費、残業代込み)

・月収20万円以上保証、70万円以上可能!と求人掲載

・所定労働時間は8時間×週6日

・現地労働が所定8時間で、会社から勤務地までの移動時間は無給

実績給は確か、ひとつ売って1万5千円。これが月間15万円を超えたら支給、というシステムでした。商品は給湯システムで、1台約80万円。10台売ってようやく月収25万円とかそんな感じでした。まずは月間10台の販売を目指せと。

もちろん、10台に届かなければ超詰められます。私の出勤初日から、売れていない先輩が隣で超詰められていました。

真夏で汗だらだら、脱水で腰痛を引き起こしながら、作り笑顔で必死に一軒一軒回る日々でした。

今思っても、主体性の無いやつがまた特殊な会社に就職したものですよね。

ブラック企業かどうかでいうと、

・社会保険なし(現金全額支給)が選べる

・有給休暇なし

・残業代不支給

あたりでブラック判定でしょうか?

結局、腰痛をこじらせたことを理由にして退職しました。鏡の自分は、顔は真っ黒に焼け、日に日にやつれてきており、目は曇っていて、見ていたくない顔になっていました。

パチンコ店員

・月給24万円

・月間休日6日

・1日10~16時間勤務

・インカムで笑われる日々

営業職を退職して数年後のこと。パチンコ店スタッフの経験もあったので、「若いうちはチャレンジ」と思い、パチンコ店の店長をめざすべく面接を受け採用されました。

配属されたのは驚異的な稼働率を誇る店舗でした。まずは一般的なホールスタッフ業務と、ホールリーダー的な業務は経験が活きて割とすぐできました。2交代制で、通常業務で9時間程度の労働でしたが、やはり幹部をめざすこと前提なので、ホールコンピューター追跡(ゴト防止の随時監視や空席案内の指示出し)や売上管理、イベントPOPの作成と入れ替え、ホームページ更新、備品の発注や交換などの付加的なホールマネジメント業務は勤務時間外にやりつつ覚える、という働き方で、長時間労働は避けられない状態でした。一般社員はそれが当たり前、という雰囲気ができ上がっていました。

私の要領も悪く、詰め込み過ぎでミスが増えてしまった時期があり、その時に少しずつ仲間からの私への言葉が荒くなっていくのを感じる日々でした。遅れをとことん許さない職場でした。今思えば、人間関係のスキル不足もあったのかもですが、なによりあまり興味をもっていない業界で成功しようとしたのが露呈したといった感じでした。ここも独特な業界ですね。

さらっと書きましたが、この時期が一番つらかったですね。歯車がずれ、味方がいなくなったような錯覚に陥り、さらにミスが増えて悩む。胃は痛く、ろくに眠れず、接客スマイルは引き攣り、白髪が一気に増え、休日は飲酒と浪費で紛らわせるも、イライラしっぱなし。精神が音を立てて崩壊していくのがわかりました。

なぜここまで辛かったのかを今考えると、『つらいのに粘ったから』ですね。

辞める条件は揃っているのに、『自分から選んだ職業で、正社員として最低3年は食っていくと決めたから』といった信念が真っ向から衝突していたのです。2度目にしてまたもや職業選択を間違えたことや、時間を無駄にした悔しさもあったんでしょうね。

それでもある休日に意を決して、レンタカーでトラックを借りてきて、寮の部屋から家財道具一式積んで、置き辞表して逃げてやりましたよ。引っ越し屋のアルバイト経験もあるんで作業はスムーズでしたね。あの時のトラック運転中の解放感は、

一生忘れません。

この時がちょうど、就職氷河期と言われる時期の真っ只中でした。

ブラック企業かどうかでいうと、

・有給休暇なし

・残業代不支給

は決定的ですね。その他、細部に違いが出ますよ。ブラックは。今だからわかるんですけど。後述しますが、職場の言動ひとつひとつが真逆なんですよ。

上記2つの職業選択失敗の共通点は、『安易な考えで、給料が高そうな職種に飛びついた』ことですね。

 

ホワイト非正規社員

・休めるし、帰れる

・むしろ休まされるし、帰らされる

・ゆとりがある

・社会人としての知識が増える

・社会人としての経験値が増える

・人間らしく働ける

ブラック労働をやっていた時は、これが当たり前とは到底思えませんでした。もちろん法規制があることは知ってはいましたが、「守っているところなんて役所ぐらいだろう」という認識でした。ただそんなことはなく、こっちが当たり前ということに気づきました。

『社内に労働組合がある企業』はけっこうホワイトだと思っていいんじゃないでしょうか。

『数分のサービス労働』って、けっこうやりがちじゃあないですか?今は、あれが悪循環の根源な気がしています。企業内労働組合の活動の基盤も、『数分のサービス労働をしない、させない』なんですよね。職場の仲間同士で声をかけ合うんですよ。気分がスカッとしていいですよね、こういうの。

現在は非正規社員で、入社10年目です。残業も少しありますが、ボーナスも少しだけあって、入社して3年目ぐらいからは年収400万円前後の労働収入はキープできています。

今ではアフター5にスポーツを楽しみ、副収入を得るための勉強を日々やってます。色々試してみて、現在は中国輸入の副業とペイ活、そして投資を楽しみつつポチポチとこなし、さらにブログでも育てようか、というところまできました。リスクもほぼ無いので、最悪でも現状維持は保証されつつ収入を増やせる、といった好循環が始まったのです。大げさかもですが、ブラック労働から逃げて十数年が経ち、生きる希望が湧きました。

私事ですが去年結婚をしたので、もし子供が生まれたら育児休暇をMAXの1年間取得するつもり満々で今からワクワクしています。もちろんその間の収入減に対応するだけの貯蓄もできています。非正規社員なので強制転勤をくらう心配もありませんし。

業界もぶっちゃけ、興味なんて全然無い業界ですが(運輸系になるのかな?)ブラックじゃなければ、つまり法令順守さえできている職場なら、興味なくても割と続くものなんですね。ゆとりがあれば自由度が高く、自分の色を出せたりして。

まとめ

・ブラック労働は続ける価値皆無

・逆境がキツ過ぎると成長が止まる

・我慢していると、最悪の結果も・・・

・日本の労働法は実は優秀なので調べておくべき

・正しく働けば未来は明るい

過去の自分に伝えたいことは、

「ブラックと思ったら、信念なんか捨ててすぐ逃げなさい」

「時間は有限なので、有益な情報を取り続けなさい」

ですね。

人間が1日に出せる火力を全て注いでもどうにもならない負の力が、そこにはあります。そして負の労働に全てを注ぎ続けてしまうと、成長は限定的だし、その割にいとも簡単に病みます。人間が1日に浄化できるストレスにも限度があるのでしょう。

あと、時間は有限。そう考えると、変な迷路に嵌まらないことってけっこう大事かもですね。

若い時って、『お金は無いけど時間はたっぷりある』って錯覚していました。もったいないですね。

正社員のメリットについては、2社ともにブラックだったのでいまいち実感できていません。もしかするとこのまま実感することはないのかもしれませんが。終身雇用の崩壊や年金問題など、今後の流れに注視が必要ですね。

駄文でかつ長文すみません。最後まで読んでいただきありがとうございました。

社会人として出発・再出発する人の参考になれば幸いです。