茂木健一郎さんは2019年のひとつのトレンドを、「選択なき変化」と表現した。
政治・教育・メディアなどに主導されなくとも、人々は勝手に学び、変化したと。
…まるで人間が、「大衆知能」を超えたかのように聞こえた。@kenichiromogi— はっち@脳ハッカー (@V9geuE2erGndUdI) December 30, 2019
嬉しいことに、茂木先生が僕の発言をリツイートしてくれました。それだけでなく、僕のアカウントをフォローまでしてくださっていることに気が付き、驚いてひっくり返っています。
今回はさくっと、ツイートの補足です。
「選択なき変化」
茂木健一郎先生がTwitterでおっしゃった言葉なのですが、なんだか、時代の変化がグワッと頭に入ってきた感覚になりました。
2019年も終わろうとしているので、私には珍しく、一年を振り返る連続ツイートをしてみようかなと思う。今年の日本、世界を見ていて、底流にあるトレンドは何かなと思っていたのだけれど、一つは「選択なき変化」なのかなと思う。意識的に選択しているわけではないのだけれども、時代が変わっていく
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) December 29, 2019
政治・教育・メディアに主導されなくても、いわゆる「イケてるパーソン」が時代を作りつつある、ということなのです。この表現にはすごく納得感がありました。
不満があるのなら、作ればいいんですよね。
「人間が政治・教育・メディアを超える」
って、
「人工知能が人間を超える」
に似てるな、って思ったんです。
ややこしい表現ですが。
でも、よくよく考えると、本来人間が人間の作った何者かに囚われるほうが不自然なのであって、ここ数十年の経済発展や人口増加といった、あまりにも大きな波の中にいたから気づかなかっただけなんですよね。
だから、「大衆知能」という言葉を作りました。
人間は古くから(特に産業革命からでしょうか)、発展を加速させるためにこの「大衆知能」を作って、大衆の上に置いて統治してきました。
ところが、近頃になって、経済発展や人口増加の足踏みによって、また、多様性認知の進歩に伴って、成熟各国の人々は「大衆知能の支配」に不満を持つようになってきたのです。
インターネットの発展も、不満の拡散に大きく寄与しているでしょう。
ともあれ、人々はもう「タグる」ようになったのです。この欲求はもう元には戻りません。
民主主義は、多様性認知の段階にうつります。
「多様性認知革命」とでも言いましょうか。
化学発展に伴って、AIを操ろうとしているのですから、「大衆知能」に操られている場合ではないですよね。
大衆知能を超えて、これからどう動いていくか。
そのひとつとして、「大衆」の逆をどんどん行けばいいと思いました。
テレビで流してもウケないような、万人ウケしないようなジャンルこそがチャンスだと思います。
ある程度の共通した個性を持ったコミュニティを作って、共通認識としての教育ジャンルを作ればいいと思います。
日本で育ってきたからこそ気づきにくいのかもしれませんが、人はルールの下に生きるのではなく、ルールの上に生きるべきなのです。
当たり前のことですが、足は地面に踏ん張り、目線は高く保つことが、人間が安定して前進する秘訣です。人間の身体はそのようにデザインされています。
身体感覚だけでなく、社会感覚においても、「頭が高い、控えおろう!」的な古いしきたりに惑わされずに、健康的なボディイメージを持っておきたいですね。